【沿線ご案内】鹿王院 の「舎利殿」が修復落慶しました

嵐電沿線でも屈指の古刹として知られる覚雄山(かくゆうざん)鹿王院(ろくおういん)では、京都市指定名勝の庭園に佇む舎利殿(しゃりでん)が、1763年の移築以来初となる大規模修復を終え、本年10月に落慶しました。
  
舎利殿修復落慶を機に、室町幕府第3代将軍・足利義満が、鹿苑寺(金閣寺)に先がけて建立した鹿王院に、この秋、公共交通機関をご利用いただきぜひお参りください。
 

(修復落慶し、往時の美しい姿が甦った鹿王院舎利殿  2023年10月撮影)
 

1.鹿王院とは ~ 南北朝時代や江戸時代前期の建造物が残る嵐電沿線屈指の古刹
 足利義満が自らの延命長寿を祈願し、天龍寺などを建立した夢窓疎石(むそうそせき)の甥・後継者で、帰依していた禅僧・普明国師(ふみょうこくし)春屋妙葩(しゅんおくみょうは))に命じ1380年に建立させた、「覚雄山 大福田 宝幢禅寺(ほうどうぜんじ)」の開山塔(開山である普明国師(春屋妙葩)の墓所)が鹿王院です。
 南禅寺・天龍寺・相国寺などの五山に次ぐ「京都十刹(じっさつ)」第五位となり、1405年には一休宗純も門前での講義を聞きに訪れた宝幢禅寺は、応仁・文明の乱(1467年~1477年)で焼失。宝幢禅寺は断絶しましたが、鹿王院だけは春屋妙葩一門により再建されました。豊臣政権時代、1596年の慶長・伏見大地震で伽藍が倒壊しましたが、江戸時代前期の1676年に昭堂(開山堂と本堂)を再建、江戸時代中期の1763年には舎利殿を現在の場所に移築、今日に至っています。
 
2.「鹿王院」の名前の由来は ~ 足利義満の命名
 寺号「鹿王院」の由来には、造営の折に野鹿の群れが現れたことによるという説と、釈迦が初めての説法(初転法輪(しょてんほうりん))を行ったインド・サールナートの、鹿が多く棲む林(鹿野苑(ろくやおん))にちなんだという説があります。
 なお、足利義満は、自らが開基となって建立した相国寺に、禅の道場として塔頭「鹿苑院(ろくおんいん)」を創建しました。義満の法名は「鹿苑院殿」であり、義満の御所であった北山殿は、その後「鹿苑寺」(金閣寺)となりました。
 
3.鹿王院舎利殿とは ~ 仏牙舎利を収め、鎌倉の円覚寺舎利殿とも深いつながり
 現在の鹿王院舎利殿は、江戸時代中期、1763年に移築・建立された、禅宗寺院の建築様式「禅宗様」を基調とした建物です。
 舎利殿とは、釈迦が荼毘に付された時の遺骨や遺灰を奉安する建物で、鹿王院舎利殿には仏牙舎利(ぶつげしゃり)(歯)が収められています。この仏牙舎利は、鎌倉幕府第3代将軍・源実朝が宋から取り寄せ、鎌倉の円覚寺舎利殿に収めてあったものの一部で、後光厳天皇(ごこうごんてんのう)の命で京都に献じさせ、天皇から普明国師に下賜されていたものです。
 毎年10月15日は「舎利会(しゃりえ)」として、仏牙舎利を公開しています。
 
4.舎利殿の修復事業 ~ 舎利殿移築後258年目にして初の大規模修復
 今回の修復は、舎利殿が今の場所に移築されて258年目となる2021年の1月から始まり、2023年10月に完了しました。250年を超える歴史に加え、1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)や近年の台風などによる傷みを修復すべく、約20年前から検討を始め、今回、京都府教育委員会の指導のもと、京都府及び京都市の補助を受けて施工されました。
 屋根瓦の全面葺き替え、建物内外の壁の塗り直しをはじめ、経年で傷んだ箇所を修復、嵐山を借景とする往時の美しい姿に甦り、本年10月1日から3年ぶりに公開を再開しました。
 
🔳鹿王院の公式サイトはこちらからご参照ください。
 
🔳鹿王院アクセス<鹿王院には公共交通機関でお越しください>
  嵐電(京福電気鉄道嵐山線) 嵐山本線「鹿王院」下車 徒歩約3分
  JR嵯峨野線 「嵯峨嵐山」下車 徒歩約7分
  京都バス・京都市バス 「下嵯峨」下車 徒歩約3分